こんな風な、まさに美談として紹介される話もあるんだよね。世界各国から自己責任論に批判が出てるらしいけど、当たり前の反応なんでは。このハイチのケースと何がどう違うのか。少なくとも自衛隊がいるとこにゃ行かない方がいいってことかな? むしろ危ないから。
・・・リンクした瞬間に記事が消え去ったので、こちらをどうぞ。ハイチからのお便りっつうとこを見てくださいな。でもこれだけじゃ概要がわからんな。ううむ。
知らなかったんだけど、日本って渡航の自由が保障されてるんですってね。だから禁止はできないと。でも、政府は自国民を助ける能力は到底持っていないみたいですね。今回の人質事件だって、結局政府が打った手が効いたのではなくって、イスラム聖職者団体が助けてくれただけだと言うではないの。そんなに危ないところで望まれない人道支援をしている自衛隊は、一体何をしているのでしょう。危なくないところに行くと誰か言っていなかったっけ? もしかして、自衛隊員が捕まっちゃったらどうするのかな。彼らが真に狙っているのは自衛隊だし、捕まったらイタリア人と同じ道を間違いなくたどると思いますよ。そしたら、自己責任って言葉が出てくるの? つまり政府の責任と。
そこまで責任とれないってわかってるなら渡航禁止にすればよいし、必要なら憲法も変えれば。いや、変えるとこまで間に合わないとしても、韓国のように「事実上の渡航禁止である」とまで断言してみればいいじゃないか。撤兵なんかする気なくて当たり前のアメリカだって、パウエル長官は「むしろ誇りに思うべき」と言ってたぞ。そんなの対岸の火事かつ彼らにとっちゃ日常茶飯事のアメリカからすれば呑気な発言でも当たり前かもしれないけど、「素人は手を出すんじゃない」的な明らかに迷惑そうな態度の日本政府ってやっぱり馴染めない。これが恥の文化ってことなのか。っていうか、アメリカなんかだと、最悪犠牲になるくらいのことは自己責任で当たり前という前提があった上で「誇りに思う」のかもしれないけどね。
マスコミも色々いるけど、バグダッドから中継する番組と「自己責任」とか言ってるコメンテーターがいる番組が同居する局についちゃ、オメーんとこのレポーターはどうすんだよと小一時間(略)。
でもまぁ、不満がないでもないけどね。雪山で遭難しかかった大学生達はちゃんと記者会見していたよ。恐怖の種類が違うかもしれないが、何か言葉を直接聞きたかったんだけど。帰国時の記者会見でも彼ら家族の姿に恥の文化を見た気がして、やっぱり何か馴染めなかった。
こんなご時世だから旅行に行くのもぷらっと一人でっつうわけにもいかないし、なかなかトルコには行けそうもないです(涙)。というわけで最近は視点を変えて日本にいるトルコ人の友人を大切にしようと思うようになりました。一緒に居てこの日本語は何て意味とか話しているだけでも勉強にはなります。どうも秘密主義というか、あまり人と必要以上に交わらないという性格でいるため、遊びに来てねと誘われてもなかなか実現する機会もなかったけど、今年はそういうの素直にのるようにしようかなぁー。ちょっと遠いとこに住んでる子が多いのが難ですが。というわけで第一弾は、トルコ人の子とマレーシアに旅行することになっています。えーと、お互いがカタコトで英語は話せないんですけど、なんとかなりますかね? (^_^;
唐突というか一部の人は知っているかもしれないけれど、英語を勉強し始めています。何がきっかけかというのはさておき、トルコ語が週1回1年半である程度しゃべれるようになったのなら、6年間も習ってきていた英語は何なのだろうと。''I don't know.''が出てこなくて''Bilmiyorum''しか出てこない状況をどうにかしたいというのが主旨。
元々、習い事を1つ増やしたいという思惑はあった。健康か知識かどちらを選ぼうかでしばらく悩んでいたんだけど、突然運動し始めて疲れで倒れたり負傷したりしたら困るという結論になり、仕事で人が増えるまでは無理な運動はやめることにしたのだ。ちなみに、候補にあがっていたのは(あくまでもトルコへのモチベーションも同時に保てるよう)ベリーダンスでした。実を言うと、ここ数ヶ月運動を始めた子が連続して負傷したり倒れたりしていたので、ここで私が倒れるわけにもいかないという事情があったのだけど。
そこで残った知識面。今の仕事に直接生かせる簿記とかPC資格試験だとかでもよかったんだけど、それじゃ私自身が楽しめない。真剣みがありすぎて負担になる可能性もあるし、PC関連なら教材になりそうなものは社内に腐るほどあるし。それに、今の仕事を続ける選択肢より、いつか再就職するときのことを考えて希望の職種につけるような選択肢を残しておきたいよなーと己のことを降り返ってみたりね。
トルコ語で辿った勉強法をトレースすればある程度までいけるかなと気軽に考えていたら、学校英語がいかにダメな教え方で、今のトルコ語の先生がいかに優秀であるかを思い知らされました。文法本やらNHK講座やらwebサイトやらを駆使し、某受け放題スクールに通いつめて猛勉強中だけど、会話をしたい立場からみれば「このitは訳さない」なんてアドバイスは無駄に思えます。学校英語って、機械的に訳文を作成する技能の磨き方だったのねと理解。
自分でも短気で飽きっぽいとわかっているから、短期間で集中的に頑張ってみる予定。目標はトルコ語と同レベルまで会話能力を高めること、ですかね。
イラクで起こった邦人誘拐について。どうも違和感を感じるのでちょっと書いてみる。
個人の危機管理として、政府が行くなと言ってる場所にいかないというのは普通にするべきことだ。それをおしても行く理由があって行く人は、周囲の人も含め危険性は覚悟しなければならない。でも、だからといって、国が行くなって言ってんだから自業自得だとする姿勢は、あまりにも頼りないなぁと。
危険だから・政府が行くなと言っているから・だから行くべきでない・行けないという姿勢でいたら、一体誰が事実を報道してくれるのか。誰か他の人にまかす? 安全なところから外国人の報道を眺めて過ごすのって、お金だけ出して派兵しない姿勢とどこが違う? もしこれが鳥越さんのような有名なキャスターだったら、世間の反応はどうだったのだろうか。
もちろん、日本政府が頼りないのも、救出作戦など到底期待できっこないこともわかっているからこその自業自得なのかもしれないけど、「時代が違う」だの「撤兵させる理由がない」だのの発言は他の国の政府から出てくるような台詞だったろうか。これがアメリカ大統領なら「ジャーナリストのような非戦闘員を誘拐し攻撃の対象とし、自国の市民のために尽くしているNGOボランティアを殺害しようとしている。テロリストは我々にとってだけでなく、イラク国民の自由を阻害する共通の敵である。我々は断固テロリストと戦う。」(撤兵する気なんてまるでなし)なんてことくらいはブッシュ君でなくともハリウッド映画でもぶちかますのではないだろうか。もちろん、日本は戦えない国なのでそんなこと言えないし、政府が頼りないことも共通意識なんでしょう。だからこそ、自業自得っていう意見が目立つのかもしれないけど。政府の対応って別次元の話なんじゃないのかなあって気がして仕方がないのでした。もうちょっと気のきいたこと言えよと。
それでも、誘拐された方々のwebサイトとかがまさに2chで"晒され"ていたりして、内容を読んで印象が変わったりもした。自分のことを名前で呼ぶ女の話題をしたっけな~高校生のときに~って半生ほど降り返って考えてしまった。人に与える印象って大切なのねと痛感。ましてwebサイトって距離感が突然ワープするから気をつけておかないと。気が合う友人とだけ話しているつもりで甘えたことを言っていても、注目された途端に普段の人となりとして判断されてしまう。世界に向けて発信されている本来オープンなメディアであるからこそだけど、webサイトでの発言が自己申告によるものであることも事実。普段の行動も含めた人となりの判断は所詮できないってことを心に留めておかないと。
でも、ご家族の方の心痛も計り知れないものがあるとはわかっていても、ただ「人命優先」なだけの訴え方では行動に伴う責任を問われてしまうのも仕方ないと思う。代弁者としての主張を聞いてみたい気がしてしまうんだけどね。といってもこのニュース、あまりフォローできてないので既に主張してたらすんまそ。