January 27, 2005

トルコランチ

 今日突然トルコ料理が食べたくなった。一昨日のトルコ語教室の帰り、西口にできた新しいウスキュダルでイスケンデルケバブを食べたのに、いや、だからこそ、食べたーいという気分が高まる。一人だとそんなに種類食べられないからなぁ。で、仕事場の近くの目を付けていたトルコ料理のお店、10分以上歩くことになるけど行ってみることにした。夜はここ高くて、とても一人で来る感じじゃないんだよね〜。
 果たしてその店までは13分もの時間がかかったけど、まぁ一人でならランチ可能範囲。メニューは6種類あって、スープとパンとチャイがセット。最初だからカルヌヤルック(茄子のひき肉あん詰め)のセット840円にした。これは料理教室では作ったことがあるけれど、店で食べたことはなかったんだよね。
 パンは柔らかくてフォカッチャに似たものがスティック状に切られて出て来る。トマトのスープは柔らかくなったお米が入っている。両方とも美味い。あぁ〜幸せ〜。店内はイズニックタイルなんか飾られてなくて、ヨーロッパっぽい内装。でも実はこの方がトルコのレストランぽいんだよね。ランチだからか店員は二人とも日本人で、たまに厨房とのやりとりがトルコ語で聞こえてくる。店内は広くて、5−6組の客だと暇な方かな。すぐにメインが出て来る。期待したメインは塩が少なくて、揚げてあるはずの茄子も油っこくなく全体的にあっさりめ。なるほど、これは日本人向けの味と量だわ。一口食べて塩を満遍なくふりかけ、チャイにも砂糖を入れる私はどこかおかしくなったのか!?だってそうじゃないとトルコ料理じゃないみたいなんだもん。でもパンとスープは美味しかったし、なによりお昼にトルコ料理が食べられる幸せ。明日はラフマージュン(トルコ風クリスピーピザ)と心に誓った私であった。
 行き帰りで25分も歩くんだから、きっと体にもいいに違いない。うんうん。

投稿者 hussy_mobile : 09:59 PM | コメント (1) | 携帯日記

January 26, 2005

コメントボム

 明け方にかけて310通のコメント攻撃。全部オンラインカジノからのもの。あぁ~めんどくさぁ~。

投稿者 hussy : 10:34 AM | コメント (1) | 日記

January 24, 2005

犠牲祭のお祝い

 土曜日は犠牲祭のお祝いということで、お誘いを受けたので六本木まで。時間通りに着いてしまったが、トルコ時間が健在であった。ま、遅刻も開始が遅いのも、いつものことだから慣れちゃったけどねえ~。よく知らないで誘いにのったけれど、トルコ系のみならず色んな国の人がムスリムであるという繋がりで集まっているよう。隣に座ったZさんは22歳で交換留学生なんだって。若! スカーフをかぶっていたし、子持ちの人が多い集まりだったので思わず既婚者かと思って「ご主人は?」なんて聞いてしまった(--; 思い込みはいかんね。ちなみに私のことは10歳若く見てもらえました。あー。いやー。ノーメイクだからですよ。しかし、知ってる人がいない外国人の集まりで、一人で待ってるのは結構辛い。社交的な性格でもないので、なかなか軽い話題もできないのが困りもの。なんか初対面ではずむ話題とか考えておくべきかしらねー。ただでさえ無料なのに、お土産にチャイとCDをもらって帰ってきた。なんて言ったらいいのかわからないけれど、エザンみたいな?お祈りのとき使うような?アラビア語のCDでしたが...。
 その次は教室のお祝いに寄ってみる。夜は民族ダンスチームが披露してくれるらしいんだけど、遅くなってしまうのでそれは見れなかった。食事会で隣に座った人はそのダンスチームの人なんだって。遠くもないから参加してみたいなと思ってたんだけれどなあ。最近はプチぎっくり腰になったりして体力もないから、両立は難しいかなぁ。
 今回、教室で食べさせてもらったストゥラッチが焦げ臭い。まぁ、失敗してることも時々あるけど、珍しいなーと思ったら、Ü先生が作ったんだって。初めて作ったのね! って感心してたら、2回目なんだって。これもびっくりだけど、大学時代に親と離れて暮らしてたときから、いまでも当番で自炊するとか。すごーい。偉い! でも焦げ臭いのは失敗だよ(笑)

投稿者 hussy : 01:48 AM | コメント (1) | 日記

January 21, 2005

日本人で良かった

例えば外国から帰って日本食を食べるとそう思ったりするらしいけれど、あまり旅行に出ないからか思ったことがない。偶然、生まれた国が日本だっただけで、愛国心など持ち合わせてもいないとずっと思ってきた。なのに最近は、日本人で良かったと時々心の底から思う。狂信者や政治に宗教を利用する人々が煽る憎しみの連鎖を目の当たりにし、己が宗教に縛られていないと実感するとき、自分が日本人であるとも強く実感するのだ。そして、相方ともほぼ価値観が同様であることが確認できると、更に実感できる。既知の価値観から全て自由ではいられないけれど。
ただ、同時に少し疑問にも思う。世界中から宗教的民族的政治的争いがなくなり平和になって、大規模な自然災害でさえ予防できるようになったとして、人間が発明した科学や技術によって人間という種が増え続けていったなら、自然の力だけでは維持もできないだろう。じゃぁどうすれば? 思考は一気にSF映画な世界。
自分の世界にしか興味なかった私が、トルコという窓から世界を覗くようになって意識が変わってしまったようだ。手の届く場所にあり地を踏むことが出来た世界へ興味が出て、歴史まで勉強するようになった。そして不思議なことにフィクションに興味がもてなくなった。何故か時間がもったいないと思うようになってしまった。RD-X5で強化されたビデオ環境で放送大学までエアチェックするようになって、私は一体何を目指しているのか。ま、興味の赴くままにやってみるけど。

投稿者 hussy : 02:09 AM | コメント (2) | 日記

January 17, 2005

トルコの父アタテュルク

 数の数え方を疑問に思ったのが、何故か世界史の勉強をしている。結局、トルコという国をもっと良く知ろうと思ったなら歴史を学ばないわけにいかず、トルコの歴史とはすなわちヨーロッパとアジア(と中東)の歴史、とりわけ第一次世界大戦の前後は押さえておかなきゃいけないのだった。地理と世界史は長いこと無視して生きてきたけれど、ここにきて興味が沸くようになるとは。やみくもにトルコの歴史と言ってもとっかかりがないので、まずはアタテュルクと第一次世界大戦のあたりから調べることにした。
 このアタテュルクという人は、トルコ共和国の建国の父にして、国家滅亡の危機から守った英雄。一般的に、トルコ人達は学校教育の中でアタテュルクの生い立ちから亡くなった日時まで教えられ、単なる記録上の偉大な人物に留まらない愛し方をしている。いかに偉大であろうとも、どうしてそこまで愛し尊敬しうるのか、日本人的感覚では理解しきれなかったが、これもやっぱり歴史を学ばなければならないようだ。世界史の中で登場する、アタテュルクと呼ばれるようになる前のケマル将軍(ケマル・パシャ)の逸話を読むと、鳥肌が立つほどの英雄ぶり。特別トルコ贔屓じゃない人が書いている世界史の中でさえ、アタテュルクは特別な英雄なのだった。
 そういうわけで、amazonの中古市場で「ケマル・パシャ伝」を買い、読み終わってしまった。ちょっと物足りない気がするけれど、これ以外の伝記は英語かフランス語かトルコ語なんだろうなあ...。著書でも書かれていたけれど、あと10年生きていたらトルコがもっと変わっていたのかもしれない。今のような偶像化した状態にも本人は怒っているだろうとも。けれど、建国の父を亡くした孤児達が道を誤らないようにするには、そうするしかなかったのかなぁと思うのは私の感想だけど。

今年は我がBJKがふるわなくてサッカーはつまらないし、外堀から攻めてみようかな。料理とかお菓子とか歴史とか。

投稿者 hussy : 01:50 AM | コメント (2) | 日記

January 07, 2005

世界史勉強中

 フランス語源なのにアメリカ式の謎を解くため、昨日の英語サイトArticles: A Zillion Troublesをweb翻訳にかけて読んでみた。...んが、玉砕。言葉作りの過程を書いてあるのだから、まともに翻訳されるはずがありません。仕方ないので訳文と原文を並列して読むことに。それによると、(私の解釈が正しければ)大きな数の表現はフランス人が1480年代に整理し、そして17世紀中頃にフランス人が破壊した。M.シュケという人が整理したミリオン(百万)システムだったものが、いつしかサウザンド(千)システムに変わってしまっていた。新しいシステムを若い国アメリカが採用したが、イギリスは古いシステムのままだった。更に混乱することに1948年フランスはミリオンシステムに戻した。近年になってインフレと国際貿易などにより混乱が表面化することになった。などなど。
 そこで私の仮説。確か、トルコは第一次世界大戦後にアタテュルクがリーダーシップをとるところからあらゆる改革が進んでいるはず。トルコ語がアラビア文字からラテン文字に改められたのもその頃。1948年までにトルコ語に取り込んでしまっていれば、サウザンドシステムの数え方であっても不思議ではない。ということで、またしても苦手な世界史のおさらいをするハメに。

第1次大戦

で、こんなサイトを見つけたのだけれど、頭が痛くなりそう。

投稿者 hussy : 01:17 PM | コメント (1) | 日記

January 06, 2005

京のその先

 トルコ語での大きな数の単位、調べて行き着いたのはMilyar(十億), Trilyon(兆), Katrilyon(千兆)までだった。そこから先の大きな単位を検索しても、どうしてもそれらしいのがわからない。で、面倒くさくなって昨日は投げちゃったんだけど、今日になってトル英辞書サイトで聞いてみたら調べてくれた人がいた。

05:21 bored katrilyondan sonra kentilyon, seksilyon (heksilyon), septilyon, oktilyon, nobilyon, desilyonun geliyomuş

本当かどうかまでの検証ができない(=するまでは信用できない)けれど、聞いてみるもんだなぁ。最初は知らないって言っていたんだけれど。
 ところで、トルコはアメリカ文化よりフランス文化の方が早く入ってきていて、単語もフランス語からの借用が多い。当然、数の数え方もフランスから入ってきたと思われるのに、運用を見ているとどう考えてもアメリカ式なんだよなぁ。トル-トル辞書サイトのTürk Dil Kurumu Güncel Türkçe Sözlükで調べたらやはり"Trilyon kere bin"「兆×千」と出るがフランス語と出る。トル日の辞書でKatrilyonを調べると、フランスからの借用語で「百万の4乗=1024」となっている。で、欧米の数単位について書いてあるサイトをみると、トルコは千進のグループに入っていた。

Articles: A Zillion Troubles Multiples of a million: German, Dutch, Swedish, Danish, Norwegian, Finnish, French (since 1948), Spanish (including American Spanish, though not Puerto Rico), Portuguese (European), Catalan, Galician, Hungarian, Polish, Czech, Slovak, Serbo-Croatian (Serbian, Croatian), Slovene, Hungarian. Multiples of a thousand: US English, Italian, Russian, Turkish, Greek, Portuguese (Brazilian).

やっぱり日本の辞書が間違っているのか...。あとは、ユーロに加盟するからとか言って、変えるようなことがないように祈るのみ。(ビジネス上不便じゃないんですかねぇ?)

投稿者 hussy : 04:22 PM | コメント (1) | 日記

続・津波と台風

 実はまだtsunamiとtyfunのことをひきずっていたりする。どうも検索してみると、今回のことでtsunamiって○○語になってたのね!系のオドロキblogがあちこちにあったようだ。私はたまたまトルコでの隕石記事で目にしていたから気になったわけだけど、実は有名だったらしい。まあ、英語に取り込まれたこと自体はそんなに不思議ではないけれど。アメリカ辺りは色んな国のニュースを扱うのは当たり前で、その中で日本語由来の単語が出てきても、気にならないものなあ。

"津波 - Wikipedia

tsunamiという単語が普及しているのには2説あるようで、上記のwikipediaにもあるように日本の地震研究が最も進んでいて学術用語になっているからというのがポピュラーなよう。もうひとつには、外国に輸出された邦画の中でtsunamiという単語が初めて出てきたというもの。まあ、両方とれるわけだけど、後者は都市伝説的な話にも感じられるな。学術用語になっているからこそ、国際的にニュースで採用されるというのは理解しやすいです。

 ちょっと語源からはそれるけど、台風のアジア名って各国の単語を順番にあてはめていたのね。

台風のアジア名

日本は星座の名前で統一されているけど、他の国は統一感のないつけかたなんですね。だけど、日本のは星座の名前といっても元は英語じゃんというのも混じってる。ある意味、カテゴリーで揃えるよりも、確固たる自国の言葉を選んでいる国の方が正しいのかもしれないな。米国の個性のなさも、らしいよなぁ。

 閑話休題。今年からトルコリラのデノミが実施されて、0が6個なくなりました。これで新リラが約80円とかになると思うんだけど、さすがにそれ以下の単位もなくてはやりづらい。元々スィミットなんかは約20円位の食べ物だったし、どうなるのかというとクルシュという単位があるのです。(というか元々あったものらしいけれど)100クルシュが1リラになるので、こちらは旧リラから0を4個とるわけですがここら辺に混乱の元が。リラは千ごとに単位の呼び方が変わる千進だから「4-百万」を「4」、「2-十億」を「2-千」とカンマごとの単位だけ変えれば済む。ところがクルシュは100でリラになる百進だから、いままで「百-千」と言っていたものを「10-クルシュ」、「2百50-千」を「25-クルシュ」と言わなきゃいけない。「50クルシュ」は「半分」、「25クルシュ」は「4分の1」でいいけど、それ以外の表現はちょっと面倒だな。
 さてそうなると、たとえニュース上でも10億以上の単位は滅多に見ることがなさそう。それ以降の単位ってどういう単語なのかもう一度おさらいしようと思って辞書検索すると、アメリカとイギリスで桁が違うとか出る。おおい、これじゃトルコで何桁なのかわからんよ。そもそもなんで同じ単語が国によって桁が違っちゃうのかと更に検索を重ねると、どうやら欧米諸国で諸説とるんだそうで(知らんかったなあ)。更にたぐり続けると、日本や中国でも大きい数字の単位を混同していた時期があるらしい。生活で使わない大きな単位だからこそ、混同されて解釈が異なることがあるわけですな。

無量大数の彼方へ

なんだか混沌とした世界に入り始めたので追求をやめた。トルコは多分アメリカ方式と思われます。

投稿者 hussy : 12:14 AM | コメント (0) | 日記

January 04, 2005

年末年始

 年末年始の行動記録。29日からお休みに入り、無印良品で頼んだテーブル×2が届く。どうしても正方形のテーブルが欲しかったのと、価格改定で安くなっていたのでつい2組買ってしまった。ううむ、邪魔過ぎたか? 30日は姉と二人で実家の片付け(ゴミ認定)をしに。我が家で最も苦手なもの、それは捨てること。いまだに私が保育園の頃のバスタオルが現役だったりするくらいとにかく捨てない。年老いた両親とパラサイトシングルの兄とでは荷物もそう必要ないはずと、とにかくゴミ認定、リサイクル行き認定をしまくる。31日は夕方買い物に行ってそばとえび天をゲット。その後、年賀状の準備(--; 今年は家の全景を載せようと思ったのだけれど、電柱と電線の存在感があり過ぎ。2時間近くかかってペイントブラシで大まかなところを消し、Irfanviewで点描&油絵加工。まぁ、専用ツール使わないでこれだけできればまぁまぁかな。そして、ようやくシーリングファンの一部復活。羽根だけつけて、ねねぞうの様子を伺うことにした。照明が一部暗いので、明るい方に来たばかりのテーブルをセッティングして、年越しそばを食べる。今年は引越したばかりだから、大掃除はなし。
 1日は相方の実家へ。2日は私の実家に集まるのが毎年のことなんだけど、今年はうちでやることになったと言ったらお正月食品をたくさん頂いてしまった。いつもただ食べさせてもらうだけの正月なのに、更に実家の家族に食べさせるものまでもらってしまって、嬉しいけれど、本当にそれで良いのか恐縮してしまう。おかげで2日はミートローフと角煮を作った以外には特に作らず、食器洗い機だけがフル稼働の一日だった。食器が少ないと思っていたけど、途中で洗っちゃえばどうにかなるかもな。そして、今日3日は夜相方が飲みに出かけてしまったので、私は関東最大と言われる有楽町の無印良品に家具を見に。ちょうど良さそうな家具があったし、テーブルと同じ木材だからいいなぁと思うんだけど、値段がねぇ。一歩引いてしまうが、さて、どうしたものか。

 あぁ、明日は会社だよ。のっけからまだ締まってない月末締めをどうにかしなきゃいけないんだ。はーお正月ってもうちょっと長くならないかなぁ。

 そういえばshinobi.jpのアクセス解析をつけて改めてわかったんだけれど、turk tarafimのページにYahooのイルハンカテゴリーから飛んできているのがやけに多い。もう、イルハンのことは書かないことにしたんですけれどぉ...。年末に削除依頼を出してはみたけれど、どうなることやら。Yahooだろうがどこだろうがリンクされることは別に構わないんだけれど、イルハン情報を探しに来られても申し訳ないのです。もう、絶対に扱わないことに決めたのだから。

投稿者 hussy : 03:01 AM | コメント (1) | 日記